Over the Rainbow

その音を探しに

不在と言う存在 3/19 downyワンマン [砂上、燃ゆ。残像] 渋谷www-x

久しぶりのdownyは、downyであってdownyでなく、しかしやはり間違いなくdownyであった。

昨年末予定されていたライブが、ギター青木裕氏の病にて急遽休演。
そのアンサーとして、この3/19のワンマンが開催される運びとなった。
その筈、だった。
帰宅後、このブログに手を付けた時点では「大変残念であるが、青木裕氏は再び病床の人」と書きかけていた。
出来れば、その時点で時が止まっていて欲しかったが。

しかし、現実は過酷だ。

3月19日午後14時50分。
開演5時間少し前。
稀有なギタリスト・青木裕氏は、次の世界へと旅立っていった。
身体は不在で残された音だけが舞台に上がる、イレギュラーで壮絶なライブを残して。

青木氏欠場は数日前に告知されチケット払い戻しなしであったが、その段階でソールドアウトしていた会場はギッシリの満員。
ほぼ定刻通りに始まったが、その直前の数十秒間、会場を殺気さえ帯びた静寂が支配していた。
演奏前、こんな風にエアポケットな時間はよくあるものだが、今回の空気の鋭さはあまり経験した事のないものであった。
恐らく、無意識の内に我々観客も、何か感知するものがあったのかもしれない。
音の核をなすギター青木氏の不在の不安、それでもなお会場に満ちる期待。
そんな空気の中、downyの3人と今回の青木さんギターの分をサポートするSUNNOVA氏が入場した。
いつもの様に無言で、演奏が始まる。

青木氏欠席決定は17日だったものの、ワンマン決定した段階で、万が一の場合はギターの音のみでと告知されていた。
だから、あの場にいた全員が、生のギターでない事をある程度覚悟はしていた。
その所為か、私はギターの音への違和感より先に、Vo.青木ロビン氏の声の掠れと不安定さに気を取られていた。
どのアーティストさんも、全ライブを万全で臨める訳ではない。
殊にVo.は不安定になりがちだし、この夜のロビン氏の歌声が、決して下手だった訳でもない。
しかし、明らかに何かが違うと、感じさせるものがあった。

敢えて言うならば、downyの音楽における歌声は、一つの楽器として記号化されている面があると私は思っている。
そういった見方では、この夜のロビン氏の歌は“楽器”や“記号”ではなく、生身の部分が垣間見えていたのかもしれない。
その僅かな違和感に気を取られた瞬間、多分、無意識下で青木氏の永遠の不在を覚悟していた。
いや、私だけでなくあの場にいた大人の多くは、何らかの形で“事実”に気づいていたのではないか。
気づきながら打ち消し、打ち消ししながら祈りを捧げる様に、その演奏を聴き続けるしかなかったのだと思う。
その位、ステージもフロアも、いつにも増し張り詰めた空気感であった。

MCはなく、演奏自体はソリッドに突き進む。聴き手もまた、一瞬も気を緩められない。
青木ギターの音を、同期でなくサポートSANNOVA氏が紡ぎ行く。
それは、ギターでギターで無い音を作る青木氏の音ではあった。
が、生で俯き髪を振り乱す演奏姿は、目に見える形で存在していない。
とても不思議な感覚であった。
嵐の様にうねる音の中に青木ギターは存在せず、だがdownyの中に青木ギターは確かに居た。
この夜、downyの演奏をリードしていたのは、間違いなく青木ギターの音だった。
存在しないはずのギタリストの音が。

ライブ中、ずっと『不在の存在感』について考えていた。
青木氏のギターは、私が聴く中で最もクレバーに狂気を帯びている。
ギターのマッドサイエンティスト
大変失礼ながら、彼の演奏を聴く度に密かにそう呼ばせて頂いていた。
ギターなのにギターでない音を作る、その尋常でなさ。
それは運試し的魔術で成されたものではなく、複雑な設計図と狂気の執着で作られた音で。
将に、狂気の音の科学者。
故に、例えその場に不在であれ、架空の“青木裕”を存在させる事が可能だったのかもしれない。
綿密に準備し設計された、“もう一体の青木裕”を。
若干の違和感と不思議な現実感で構成された、もう1人の見えない青木裕が、あの時間あの舞台に存在していた。私はそう信じている。

イレギュラーな構成であれ、やはりこの夜のdownyもまた本物のdownyであった。
この夜に限らずdownyは、その特異的な楽曲を驚異的演奏で我々を翻弄する。
それは間違いなかった。
しかし、この夜独特の混迷感と綯い混ざって、嘗て経験したことのない様な感覚を覚えたのも事実。
不在の存在感を主張する青木ギターの音を追う様に、地の底からうねるベースの音が体を翻弄する。
特に後半、個人的に後期downyを代表すると思っている「曦ヲ見ヨ!」は、鬼気迫るものがあった。
秋山さんドラムに、乱れ馬の蹄音を感じ、呑み込まれる。
踏みつけられ、引き裂かれてなお、その先にある太陽を目指す。
downyと言う、黒く輝く逆しまな日輪を。
迫力に魅了され、目の不調を考えずに映像もしっかり見てしまったが悔いはない。(視神経炎症で、普段は強烈な光や映像は極力避けている)
多分、私にとってこの夜一番印象に残った演奏だったと思う。

言葉少ない緊張したMCで、1時間半未満、あっという間に駆け抜けたワンマンライブであった。
私の記憶力がないと言うだけでなく、あまりに強烈な疾走で、セットリストや曲数を思い出せない。
その位、有無を言わせないものがある時間だった。
downyの音楽は、快不快の境界線のエッジを疾走している音だと思う。
そういった意味で、今回のライブはイレギュラーであっても、“downy”の本領でもあったかもしれない。
渋谷WWWを超満員にした、復活ライブも経験した。
存在しない存在感が圧倒する、この夜も経験できた。
ファンと言っていいのか判らぬほど未熟な私には身に余る、過ぎたる時間であった。
唯々、祈りと感謝を捧げるのみである。

ラスト、アンコール代わりに青木ギターの映像が流された。
言葉を痞えさせる事はなかったものの、身を切るような痛みを帯びたロビン氏のMCで、その音が完全に存在しなくなった事を感じた。恐らく、多くの人が。
downyの演奏ではなく、ラストの舞台となったMORRIE氏のライブでのソロ演奏の映像と音であったようだが、本当に凄かった。
『あぁ、この方は骨肉を削って音を作り上げているなぁ』と、改めて胸を突かれる。
downyでの演奏とはまた違ったが、自分の骨や神経で真剣に遊んでいる様な姿だった。
その先が如何あれ、それが青木氏にとっての幸せなのなら、むき出しの骨がバラバラになるまで聴く覚悟で、ずっと待っている。
その“不在と言う存在”の重みは、決して消えない。

渋谷WWW-Xの前身、シネマライズは若かりし頃、よく通った映画館で。
その向かいにあったParcoもまた、演劇好きだった当時、何回か劇場に足を運んだ懐かしい場所。
WWW-Xに上がる外階段の隙間から見える跡地は、雨に濡れ切なく輝いていた。
方や満員のライブハウスに進化し、もう一方は再びの復活を待ち眠っている。
崩壊と再生は、繰り返し訪れ続ける。
そんな象徴の様に感じてしまった。ここにもまた、不在の存在感があると。
今振り返ると、あの眺めは一つの救いの様に、私の中に強く残っている。

 

Vo.青木ロビン氏、Ba仲俣和宏氏、Drs.秋山隆彦氏の、衝撃を乗り越えて毅然とした演奏に感謝。
彼ら4人の、強い繋がりを肌で感じることが出来た。
不在のまま永遠に存在するGt.青木裕氏と共に、downydownyで。

逆しまな日輪が、砂の上に燃え続けている。

 

 (スマホ故障につき、親切なフォロワーさんに頂いた画像。wakioさん、ありがとうございます。)