Over the Rainbow

その音を探しに

曖昧な輪郭の淵 11/19 Neon Messiah vo.14 ヒソミネ

書く書く詐欺で長らく放置していたこの場所を再び埋める気にさせたのは、某大御所モンスターバンドでも、安らかな眠りの歌声でもなく、埼玉の小さな箱で繰り広げられたどっぷりドープな世界であった……w

ライブの感想を書くために開いたブログなのに、病気の後遺症でPCを使えず、Twitterのみにかまけて放置十数ヶ月。

今更ですが、再開します。

で、冒頭の一文。
詳しく書けば、埼玉ヒソミネNeon Messiah vo.14なるイベント。


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まぁ、凡そ世間一般には知られていない場所と企画に行った感想かもしれない。
しかし、認知度と密度は必ずしも等しい関係ではないのだ。
諸事難関を乗り越えて行った甲斐のある、凄いとしか言いようのない濃密な時間を過ごすことが出来た。

実はこの前日18日に、downy青木裕氏のソロワンマンと言う魔界クラスのライブも観ており。(いつかこちらに感想を纏めたい……と、思ってはいいるw)
19日当日も3時まで浮世の義理に縛られ、ダッシュで宮原まで飛んで行ったのだが前半3バンドは見損ねてしまった。
最初から最後まで、大変好奇心掻き立てられるバンド揃いだったので頑張ったが、何せ遠方片道2時間半。
3バンド目のNtttは一瞬だけ聴けたが、大変そそられる音であっただけに、間に合わなかったのは非常に残念である。


それでも、目当てのバンドの一つsabachthaniは、セッティングから見られたのは有り難い。
ドラムのアラブさん、私以上にギリギリ遅刻滑り込みセーフであったが、流石熟練の傭兵、余裕の表情で腕慣らししている姿に脱帽w(恐ろしい事にこの日はトリプルブッキングで、演奏終わった瞬間に次の初台まで飛び出していかれました。脱帽どころじゃなく凄すぎww)

UPされる映像でちょこちょこチェックはしていたものの、sabachthaniのライブはまだ2・3回しか見ておらず。
ベテラン技巧派のインプロは、私の様な素人があれこれ言うのも烏滸がましいのだが、今回は特に圧倒された。何かもう、凄いとしか。
音に遊ぶのでも、音で遊ばれるのでもなく、野性的本能と鋭利な知性と言う相反する2面性が、鬩ぎあって作り上げた音がそこにあった。

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ドラム、ベース、そしてギター。たった3つの楽器で演奏していると思えぬ、圧倒的な重厚感。幹が太いが単に塗り潰されず、繊細さを感じる。
だから、轟音なのに個々の音が見事に際立つ。そして、融合する。
リアルなkaetsuギターに惹き込まれていると、計算尽くな嵐の様なドラムに巻き込まれ、厳密、いや厳粛にすら感じられるベースに律せられる。

ēli ēli lemā sabachthani
神よ、神よ。何故我を見捨て給うたか。

激情に駆られた慟哭の轟音と、月に嘆く遠吠えの様な旋律と。
目まぐるしく移り変わる感情の様な音景は、圧巻。
3ピースが奏でる域を逸脱している。
いや、3ピースと言う基本形、原始的形態であるからこそ、無駄なくあらゆるものを内包して、この世界を作り上げられるのかもしれない。
そして、毎回、闊達に輪郭を変えていける。
正直、私には理解しきれない世界だ。が、だからこそ心惹かれ、その音の深淵へとダイブしたくなる。
細胞が、原始を思い出そうとしている。体全体で音の快感を拾うのだ。
※動画UP方法が判らず、以下Twitterに上げたものを転用。日付誤りで、全て11/19の映像。


 故に、sabachthaniは、リアルにその場であの音にの波に揺られる事に意味があるバンドだと思う。
30分の演奏で賦活され、同時に奪われる。
こう言う音は、味わってしまうと中毒。またすぐ次が欲しくなるw
この1バンドを観られただけで、片道2時間半の価値は十分あった。

しかし、sabachthaniで唯一残念だったのは、VJ paradeの作る映像との融合を楽しめなかった事。これは演者サイドではなく、私の個人的事情の為。
病気の後遺症で光の点滅する映像が特にダメになってしまい、その殆どを目を瞑って避けるしかなかったのだ。
我慢できずチラ見したparade worldは、色彩と陰影が細かな点になって流動する彼らしい世界が更に精度が上がっていて、音と互いを高め合っていた。……と思うけど、細切れに数分しか観られなかったので、ホントに勿体なかったー(号泣)
ライブは音だけでない全体を愉しんでこそなので、早く視力回復したいと痛感。
次にsabachthaniとVJ paradeの共演があれば、その時にこそじっくり味わえると良いなぁ。


 転換時間がそこそこあったので、今回首謀者のkaetsu師匠の絶品カレーを堪能。激ウマ。

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食事中、そのkaetsu師匠の本当の弟子であるお嬢さんをナンパw
うんうん、こうやって幕間を楽しめるのもヒソミネの魅力。これがあってこそ。


 そして、今回の愉しみであったdormerの演奏へ。本当に久しぶり。(動画は、ミスにてなし)

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こちらのバンドも熟練の技巧と高度な精神性を持った、聴き応えのある存在。
独特のVo.と古語の歌詞は、何処かオリエンタルな薫りと信仰心の様な気配を漂わせる。
以前観た中山晃子さんのライブペインティングとの共演では、砂漠に吹く風を感じた。
しかし、久しぶりに観たライブは、新曲が多かった事もあり、数年前とはまた違う世界を構築しようとしている様だった。

直感で視えたものは、彷徨する巡礼者の休息。或いは、一つの到着点。
今まで数回観たライブの中で、最も整合性のある音だった様に感じた。
とても綺麗で緻密に堅められた音景は、流石と聴き入ってしまうハイレベルさ。
dormerでないと作れない世界がそこにあった。
しかし、魅了されると同時に、嘗て聴いた“神”を求めるかの如き何処か不安定な飢餓感が薄らいでいた事に、若干の寂しさも覚えたのも私の中の事実。
良し悪しを問うものでなく、飽くまで個人的好みの話であるが。

しかし、そうであっても、とても高揚した演奏。
し過ぎていた所為か最早記憶が定かではないのだが、もしかしたら以前よりコーラスが入る曲が少なくなっていたのかなと思う。
過去曲に感じたオリエンタル風味が影を潜めていたのは、その為だったのかな。
非常に緻密な纏まりを感じたが、吹き抜ける風の遊びは薄れたやもしれない。
前回ライブを観てから、間隔が開き過ぎ、私もきちんと聴きとる事が出来なかったとも思う。
いずれにせよ、楽曲・歌・演奏共に極めて素晴らしいし、オリジナル性が高いバンドだ。
透明感の底に不穏さを秘めているのが良い。
次のライブは、こんなに間を開けずに観なきゃダメですねw
そろそろ新譜にも期待。
 

次の關 伊佐央(せきいさお)さんは、映像等で気になったアーティストだがライブは今回が初めて。
だが、今回サポートでチェロを演奏した日南 京佐さんは、大野円雅さんのサポで何回か拝見した事がありそれも含めて愉しみだった出演アーティスト。(以前なさっていたバンドのCDも持っていたりする。ソロでは、深夜食堂の音楽に携わっても。)
この組み合わせはかなり意表を突かれてツボで、大変面白いものだった。


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關さんに興味を惹かれたのは、ずばりその歌唱力の高さ。
UPされていた映像や音源でも驚いたが、目の前で聴いて、今まで私が聴いてきたシンガーの中でも指折りな存在だと感嘆した。
声の深み、艶、余韻を残す表現力。大変素晴らしい。
上手いシンガーは数多いるが、この余韻ある表現力を持っている人は案外少ない。
薫香漂う余韻なのだ。

更にライブ構成自体も、面白かった。
ヤクオフでgetした手動の古いラジカセでテープを駆使し、そのリズムと日南さんのチェロが、艶やかな歌に楔を刻み込む。
有機と無機が拮抗しながら溶け合う様で、とても印象的。
一度聴いたら、一寸忘れられない“コク”があった。

しかし、だがそれ故に少し気になった点も。
抜群の歌唱力と個性ある曲が故、一定の枠が感じられてしまい、似た印象の曲が続いた気がしてしまった。
これは、それだけ印象に残る“個”を持っていると言う訳で、必ずしも悪い事ではないのかな。關さんに限らず、特徴を持つアーティストは大なり小なりその傾向があるし。
ラストが、洋画の曲をカヴァー。(知らない作だったので、タイトル失念。恐らく下の動画。)

繊細さと底にある力強さが感じられて、素晴らしかった。
改めて、非常に魅惑的歌い手だと思う。
この夜に出逢えて良かったアーティストであるのは、間違いない。
終演後、CDを購入。じっくり聴きたいと思う。

 
その次も初めてなバンド、カナリヤの咆哮。ベースレス、女性Vo.な3ピースバンド。


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こちらもまた、何となくTwitterでお見掛けはしていた。
お馴染のVJ・Boriさんが推していた事もあり、期待して演奏に臨んだが……このバンドも予想を超えた存在だったww
いやぁ、思わず『一寸待って、なんじゃこりゃ!』と呟いてしまった程w
TLで流れてきた映像等を軽くチェックしてはいたが、生の演奏はそれとは全く違っていて仰け反ってしまった。
正直に言えば、楽曲や世界観は私の好みとは若干異なっている。
異なってはいるが、それを超えて思わず身を乗り出して見入ってしまう力を持っていたのだ。

何より先ず、Vo.HARUさんが凄い。細身の体から、声が溢れ出す。
将に、可憐なカナリヤが咆哮するかの如し。
終演後確認した処、やはり声楽を学んだ方だった。
正規の声楽教育を受けた喉が、ケレン味のある世界観を絶唱。これは、面白くて聴き応えがない訳がない。
劇場型且つ激情型は最近あまり得意ではなかったが、彼女の歌唱力には兎に角圧倒された。
激情型であっても発声がしっかりしているので、嫌なベタツキがなく透明感を失っていないのが良い。

また、その彼女の声を支えるギターとドラムもガッチリとしていて。
何と言うか、ドラムは艶っぽいリズムだし、ギターはズブズブと沼に引きずり込むよう。
こう言う土台がしっかりしているバンドは、聴き応えがある。
しかし、だからこその生!このバンドは絶対に生!ライブを観てこそ!
映像チェックした段階では、ここまでとは思ってなかったもん。(失礼をばw)
歌唱も演奏も濁らない激情は中々ないので、是非生を。
こちらもVJを楽しめなかったのは残念。劇場型は耳だけでなく、視界でも楽しんだ方が良いのだが、病には勝てぬ。(またも涙)

 
と、大変濃厚な演奏続きで満足していたのだが、濃厚過ぎてかなりの時間押しで迎えたトリに焦る。
片道2時間半なので、終電ギリギリ……久しぶりで忘れていたが、ヒソミネはいつもこうだった。(¯―¯٥)


正直な処、トリのTakkidudaは全く知らないバンド。時間は分刻み押し。
カナリア満足を〆にして帰宅も、頭の片隅を過った。
しかし、鼻風邪を押して出演するお嬢さんと少しだけお話しした縁もあり、ギリギリまで観る事にしたのだが。

これが……凄かった。ホント、凄かった。

この企画、凄い凄いしか言ってない気がするが、伊達に“あの”kaetsu師匠がトリに据えた訳じゃないパフォーマンスのユニットだった。
そう、パフォーマンス。演奏と言うよりパフォーマンス。
お話ししたお嬢さんが、Vo.だけれども歌じゃない的な言葉の濁し方をした意味が、実際に見て納得。

Takkiduda(タッキドゥーダ)は男女ユニットで、演奏二人にパフォーマーが一人。
3人とも白い衣装と和面、記号化する事で別世界を作り上げていた。


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お嬢さんはVo.ではあるものの、声を生の楽器として、電子音を含めた様々な楽器と融合させるスタイル。成程、風邪気味でもあまり支障ないので良かったw

パフォーマー含めてインプロで、次から次へと弾ける泡のように何処に飛ぶか判らぬ展開。非常に面白い。 
暗黒舞踏的うねる動きのパフォーマーに気を取られていると、ループし続けていた音が思いもよらぬ場所で繁殖していたり。
視覚と聴覚を同時に刺激する空間に飲み込まれる。
光彩がさほど激しくなかったので、どうにか 観られて良かった。(それでも半分は目を閉じていたのは、やっぱり残念)

しかし、近未来の音の様でもあり、原始的な本能の動きの様でもあり、不思議な別世界だった。
彼らは決して、奇を衒っているだけではない。
電子楽器やギターだけでなく、フルートや声を生の楽器として入れるタイミングやバランスのセンスが絶妙で、即興ならではの味わいを楽しめた。
暗黒舞踏的なパフォーマンスは懐かしくもあり、若い演じ手(多分)の方がやっていると言う事が嬉しくもあり。(演劇や舞踏系は詳しくないので不明だけれど、もしかしたら今でも流行ってるのかな?)
終演後すぐに飛び出したのでアーティストさんとお話しできなかったが、演奏陣の二人も若いと思う。
系統は違うが花園distance等、こう言うライブを若手がやってくれるのを見ると、ホント嬉しくてワクワクする。

だが本当に終電ギリギリで、一度は演奏中にフロアを出たが、心残りでもう一度戻ったほど。
タイトロープを押して最後まで観た私は、賭けに勝ったと思う。
演奏が終わった瞬間、仮面を外しはにかんだ笑みを浮かべ、予測のつかない別世界から現実に戻ってきたメンバーを観て、やっとこの不思議で濃厚な夜の終焉を感じることが出来たから。
まぁ、ホントに終電ぎりっぎりで、或る意味、現実も終焉する寸前にはなったけれどww
しかし、現実的終焉を天秤にかけても釣り合う程、実に興味深く面白い“パフォーマンス”であった。
人間、予測のつかない展開の醍醐味ほど、面白いものはないのだよw

 
と、長々と書いた個々のライブ感想も、やっと終焉。
ここまでで、5千字目前。長いよ!無駄に長いよ!
しかし、これだけの長さを綴らざるを得ない、不思議な夜であったのだ。
とても濃い、だが何処まで広がってどれだけ深いか判らない、そんな不確定要素に満ちた夜。
恐らく、今の私が求めているものは、この夜の様な曖昧な輪郭の淵なのだと思う。
勿論、明確な世界も嫌いではない。確固たる輪郭を持ち、その中を緻密に埋める世界の美しさも私は知っている。

しかし、形も深さも定かでない曖昧だからこそ色々なものが潜み、視える事もある。
光だけでも、闇だけでもなく。豊潤さと、塵芥と。
今欲しいのは、そういう景色。

思えば、ヒソミネに頻繁に通っていた理由は、ここが曖昧な輪郭と溶け込む淵の縁だから。
音が潜み、静かにそして激しく浮き沈みして夜に溶けるから、ヒソミネ。
底が浅いか深いか判らぬその淵へと、それでも私は飛び込みたい。
岩に頭をぶつけるか、深遠に飲み込まれて戻ってこられないにしてもね。
存外、シレっと戻ってくるより、それを望んでいるのかもしれない。

さて、こんな風にして、再びヒソミネの曖昧な輪郭の淵の味を思い出してしまった私は、再び片道2時間半の常連に戻るのでしょうかw

「深淵を覗いている時、深淵もまた等しくこちらを覗いている」

曖昧な輪郭の淵の深さを覗き、覗かれ。
そして、貴方は/私は、どうなっていくのだろうか。