雨上がりの煙るような空気の中、真っ直ぐ電車が進む。
色彩はあるのにモノクロなその光景の中、彼岸と此方岸の分水嶺の様に続く線路をただ真っ直ぐに。
新千歳空港に降り立ち、札幌へと向かう電車の中で私は、現実から異界へと旅立っているような不思議な感覚に襲われていた。この日、私はたった1つのライブを観る為に、本州を離れてこの地へやってきた。
sleepy.abのVo.成山剛ソロアルバム「novelette」の、唯一開かれるスペシャルライブを観る為に。
以前からのブログサイトを離れ、今回Hatena Blogを開始したのは、この成山さんソロライブの感想をどうしても書き残して置きたいと思ったから。
移転作業は、前身ブログが一寸面倒な場所なので後日になるが、今後はここでライブ感想を中心とした雑感を書き残していこうと思う。
拙い長文で、纏りもない。対象となるライブのアーティストも、恐らく殆どの方がご存じのない無名の存在ばかりになるだろう。
それでも、その音の世に知られぬ輝きを、私の中から消したくないから。
もし、このブログで少しでも興味を持ち、彼らの音楽を聴いてくれる人が出てくれると嬉しいから。
今後はここ、Hatena Blogで宜しく。
さて、閑話休題。
冒頭の文章に戻る。
常々、無節操な行動を周囲に呆れられている身であるものの、飛行機を使い宿泊してまでのライブ遠征は、今回が初めて。
北海道は或る種、憧れの地ではあるが、それ故、大きな節目のライブでなければいけないと言う心理的な壁もあった。
それは、私の中で別格な存在の一つであるsleepy.abのワンマンライブを指していたのだが、今、彼らが地元北海道であれ、以前の様な活動をする状況にはない。
代わりと言う訳ではないが、活発に動いているVo.成山剛氏のワンマン、それもソロ作品リリース記念のスペシャルライブと言う事で急遽、北海道まで足を運ぶ決心がついた。
札幌を拠点とし、メンバー全員北海道から生活を動かさないsleepy.abは、少し変わったポジションのバンドだ。
全国区の音楽畑ではそれなりに有名だが、北海道民でも知らない人の方が多い。
一時期はメジャーにも居て、大きなフェスを幾つも経験している実力派中堅バンド。
その浮遊感と幻想的な楽曲は、北海道のシガーロスと例えられる存在である。
中でも、sleepy.abらしさを最も際立たせるのがVo.成山剛氏の、独特な歌声。
美しくスモーキーなその声があったればこそ、日本では他に余りないタイプの楽曲も生かされ、更に魅力を増す。
事情は割愛するが、この1年間、ほぼ彼のソロ活動がメインとなっており、先日、初のソロアルバム「novelette」もリリースされた。
発売以降、かなり積極的に全国を回り、弾き語りライブを続けてきたが、いずれも内輪的な小さな場所ばかりだった。
リリースツアー最後になって、やっと本拠地札幌のキャパと音響が整った会場で、ストリングスを従えてのスペシャルなライブをする。
そうとなれば、諸難関を乗り越えてでも行かざるを得ない。
彼岸と此方を隔てるのか、結ぶのか。
判然とし難い線路を進む列車に乗って観に来たライブは、或る意味、想定範囲内であり、予想を超えたものでもあった。
会場は、ル・ケレス南円山。マンションの一角だが公営の、小さなミュージアムホール。普段は、小規模なクラシック演奏会などで使っているような感じ。
私が何度か足を運んだ事のある、永福町sonoriumを庶民的にした感じの会場だ。
今回の集客はほぼ満員ではあったが、120人前後のキャパシティーであろうか。
私を含め、本州から遠征してきた常連ファンも多々見受けられたが、自転車で来場した地元の方も居て、その事に少し感動してしまった。
音楽でも地産地消をw
今までの独り弾き語りとは違い、クラッシック演奏家を含めた7人のサポートを入れての、正に“スペシャル”なライブ。
演奏陣の素晴らしさもさることながら、今回の一番の肝は、ソロアルバムを手掛けた田中一志さんの存在であろう。
敢えて言おう。
この夜のライブは、成山剛のソロライブではなかった。
これは、noveletteと言う作品それ自体のライブ、いや、演劇だったのではないだろうか。
脚本と主演、成山剛。演出家、田中一志。
ベテランから若手の助演陣を迎えて、小さな舞台をにぎやかに演じる音で満たす。
そういう、夜であった。
正直に言うと、私はこの夜、半ば夢うつつを彷徨っていた。
演技する音たちが、あんなに華やかに飛び回っていたのに、それを目を瞑り、耳で観ているあの感覚。
眠れる音楽を標榜するsleepy.abのライブでは、何度も味わっているが、とても不思議だ。
長さに若干の差異はあったが、殆どの曲が5分前後のもの。
その5分のうち、夢に堕ちた時間が果てしなく長くて。凡そ永遠かと思われる時間、意識を失いながら、メロディだけは耳が体が追い続けていた。
一瞬は永劫であり、永劫は一瞬である。
それをリアルに感じる瞬間こそが、この夜の音の醍醐味だったのかもしれない。
このアルバムが出来上がる過程を、成山さんソロライブでずっと見続けてきたが、リアルな音となって体験するのは、音源を聴くのとはまた違った味わい。
先程書いたように、この夜のライブは、総舞台監督である田中一志氏の力がなかったら、成立しなかった。
弾き語りで静かに浸透するソロライブから一転、立体的に構築された音は、故に、成山剛のものであって、成山剛のものではなかった。
これは、一夜限りの夢。幻のお芝居。
それは良し悪しとは別の評価であり、こういうスペシャルでイレギュラーなライブも刺激になり、今の彼にとっては必要なものだったと思う。
しかし、バイオリン・チェロ・オーボエ・クラリネット・ドラムに鍵盤と総指揮者を従えて、本当に華やかな“眠り”だった。
この楽器陣を挙げると、端正でクラシカルな演奏を想起するかもしれないが、良い意味でおもちゃ箱をひっくり返したような、遊びに満ちた音たちで。
態と歪ませて弾いてみたり、胴をたたいて拍子を取ったりと、オーソドックスな演奏と織り交ぜた変則的な技法が、可笑しみと緩やかな癒しを演出する。
だからこそ、この夜は音の演劇であり、眠りながら音を観る事が出来た。
シンプルな原曲から、これだけの華を引き出した田中氏の功績は、素晴らしい。
と同時に、何といっても主演・成山剛の歌の力量と、作曲力が秀逸。
多々の楽器、それもかなり遊びを入れた演奏に負けず、丁度いいバランスで。
ざっくり言えばフルメンバーの第一部、弾き語りの第二部、再び全員での三部+アンコールの構成であったが、華やかなフル構成としっとり沁みる弾き語りと、緩急があって良かった。
田中氏の別名義sizuka kanata曲である「dragon's smile」や、久方ぶりの「pain」を聴けたのは望外の喜び。
この日の演奏一員だった、成山さん専門学校時代恩師でもある下川さんに褒められたエピソードなど、MCも充実。(どうやら学生時代は奇を衒った曲作りをしていたようだが、そんな中、このpainを披露した処、ちゃんとした曲も作れるんだと褒められたとかw)
また、原曲から最も変化したsleepy.ab曲「エトピリカ」は、その演奏姿を含めて、非常に面白かった。
様々な楽器を交互に繰り出し、途中、田中氏も催促して楽器を手渡して貰って演奏に加わるなど、これぞ生のライブの愉しみと言った即興性や、演奏なのに演劇的に感じた要素が詰まっていた。
しかし、このアルバムを作り始めて以来、ずっと心に響き続けていた「ladifone」と「in the pool」は、何度聴いても別格。
弦楽器が入った事で優美な広がりを見せ、木管が柔らかな深みを足す。
「ladifone」は、成山さんの造語。“祈り”をイメージして作った曲。
私は、この曲を初めて聴いた時から、現世と異界の狭間の川を下っていくイメージを感じていた。
それが、この日、北の大地を真っ直ぐに走り続ける電車に乗り、なんだかとても納得がいった。
演奏を聴きながら、昼間見た光景と、夢現の幻想が交互に浮かんぶ。
祈りは、今と未来、或いは、この世と彼岸の分水嶺なのではないだろうか。
隔てる分かれ目でもあり、繋ぐ結び目でもあり。
祈る事で、一つの転機がもたらされる。結果がどうあろうと。
弾き語りや音源だけでは感じ得なかったそんな考えに至れたのは、北海道で、この構成と演出で聴けたからこそ。
更に、この日一番感動した「in the pool」演奏を聴きながら、その思いを強くした。
作り手の成山さんの意図を正しく解釈は出来ていないかもしれないが、私は、その“祈り”の先にあるのが、この曲だと思う。
「in the pool」は、水に沈むイメージで作られたとの事。
この場合、水に沈むとは自己の中に深く入る事であろうが、その底で手にしたものは何だったのか。
水は異界であり、命の根源でもある。
そう、命。この曲を聴くと、輪廻し生まれいずる魂を連想する。
分水嶺である祈りが、その先を越えて至った彼岸から、未来へ転生しようとするように。
この夜聴いたこの曲は、私にそんな情景を見せてくれた。
もう、それだけで、北の大地にまで音楽を追いかけてきた意味があったと胸が熱くなった。
それでも。
再び言う。
この夜のライブは、成山剛の“ソロ”ライブではなかった。
成山剛が作った「novelette」と言う素晴らしい物語を、優れた演出家や助演陣と一緒に作り上げた、美しい舞台であった。
舞台とは又、現実と異界との分水嶺。
沢山の音に彩られ、美しい祈りを奏でる世界。
単純にソロライブではなかったが故に、その場所にいられた事を私はとても満足している。
翌日、前日の曇天が嘘の様な青空の下、再び、大地を真っ直ぐに走る電車で帰路に就いた。
noveletteに綴られた物語は終わり、祈りもまた、閉じられる。
分水嶺から今日と言う現実へと戻る旅路は、しかし美しく、私は幸福感を噛み締めていた。
この地で音楽を聴く。そのこと自体が、私の祈りだったから。
隔てる分かれ目を越えれば、繋ぐ結び目も解ける。
再び、祈るその時まで。
2016.6.4 セットリスト
ヒトリキリギリス
ladifone
コペルニクス
dragon's smile
メロディ
ホログラム
lump
palette
未発表曲
pain
エトピリカ
ピエロ
high low
in the pool
街路樹
en
ねむろ