Over the Rainbow

その音を探しに

白い部屋から抜け出して 10/29sleepy.ab25周年記念ライブ 新代田FEVER

新代田FEVERでの、sleepy.ab25周年記念ライブを観てきた。
私が好きなバンドの中で、2番目に長寿の次男坊w(長男は35年以上だけど、滅多に目覚めない某虹バンド……)
ざっと調べたがファンになって15年位、ライブもそれなりの回数観てきた。
だが、この数年はコロナ禍と個人的事情でなかなか足を運べず、バンドver.で最後に観たのも、20周年記念ライブだったと思う。
あぁ、こうやって人は目覚めていくのかと少し寂しくあった。
そんな状況で今回もあやぶまれた記念ライブ、割とギリギリに行ける事になり、久しぶり過ぎて興奮半分怯懦半分の不思議な高揚と共に臨んだ。

端的に言えばこの夜は、変わらず有り続ける事の美しさに満ちた時間であった。
変わり続ける現代に於いて、sleepy.abはとても貴重な存在だと改めて体感。
変わらず在り続けるその音に満たされ、浄められた者は多い。
この夜も恐らく。
観客の多くが目を瞑り、揺蕩う。
音響浴をしているかの様に。
25周年且つワンマンと言う事で、以前より男性率が増し気味だったが、観察した範囲だと男性の方が目を瞑り、音に深いダイブしている方が多かったように感じた。

そう、音にダイブ。
sleepy.abは浮遊感のイメージがあるが、その音は深海に惹き込む様でもある。
故に、聴く者の中に浸透し、何処か大切な琴線に触れるのだ。
今夜は一入深い浸透で、涙する人も居たのでは。
斯く言う私もで、初っ端「アクアリウム」「メロウ」からもう。
“誰も知らない白い部屋に”居た様なこの数年の個人的事情に突き刺さるものがあり、心掻き乱された。
“忘れてゆく事で選んだ強さ”を盾に立ち尽くす自分の姿が、音の鏡に映し出されたようで震えた。
成山さんの言葉は優しく、だが冷徹に心を抉る。
白い雪景は、美しい。
と、同時に、身体を凍てつかせる。
彼の歌詞はそんな雪景の様だと、この日改めて感じた。
この二律背反があるから、我々は四半世紀も眠りの森に彷徨い続けているのかもしれないとも。

今夜は特に歌詞に反応してしまったが、演奏、歌唱共に流石25周年だと感嘆。
sleepy.abは軟いバンドだと勘違いされがちだが、演奏凄いです。
ふわふわしたイメージで聴くと、ズブリとヤラれますw
特に数年ぶりの山内さんのギター、変態っぷりに磨きが掛かってたし。
バンビの様に震えてドレミから練習し、今のあの音に至ったと思うと感慨一入w
また、甘く影を帯びた成山さんのお声も健在。
声量もいい感じで深く響き、表現力も変わらず豊か。
実は元はギター担当だったと言う(初聞き!)田中さんのベースも、成る程だからあんなに華やかな音だったのかと納得w
元々は山内さんのふわふわ音ベースと、ゴリゴリブイブイイングヴェイ風な田中さんのギターでsleepy.abは始められたそうな。
もし、そのままだったら、彼らはどんな音を作っていたのかと想像するのも楽しいw
それ等全てひっくるめてsleepy.abを形作り、変わらず響き続けてくれた重みを噛み締めた1夜だった。

sleepy.ab独自な世界を確固として持ち、力量もある。
過去曲含め、世に並べ遜色ない。
東京本拠だったら、更に前に居たと思う。
が、彼らは北の大地を選んだ。
その遠さが壁となり、上にのし上がる事を阻んだのは否めない。
しかし、その雪の壁が彼らの世界を守り続けてくれたとも思う。
降り続く雪は柔らかく、積もる事でしっかり固められ、変わらず力強く在り続けてくれた。
それがsleepy.abなのだと。

そんな事をつらつら考えながら聴いていたら、尊さすら感じて胸が熱くなった。
25年って、そう言う重み。
ずしんと響いた。

とは言え、この重みもまだまだ。
活動もいい加減緩やか過ぎだし、そろそろ新作も希望。(私がお休み中、ライブで発表された曲があったようだが。この日の「potsun」とか)
長寿某虹色バンドと違い、sleepy.abは互いに気心知れ仲も良好な様子なので、来年こそはマメな活動をと願っても良いかな?
山内さんが「毎年周年ライブ!」と確約してくれたしw

今まで1度しかライブ演奏していないと言う「HUSH」(ホント?w)も聴けたし、sleepy.ab唯一縦乗り曲「Euphoria」で踊れた。
アンコールでは私が一番好きな「SCENE」が来て歓喜しつつ、その音景流氷犇めく灰色の海が視えた気がし、グっときた。
〆の「24」に或る種の祝福めいたものを感じ、高揚と共に終演。
何たる幸せ
変わらぬsleepy.abの音景は、優しく美しい。
そして、仮借なく切り込み、強かだ。
優しい音景は、だが容赦なくそこに立ち尽くす自分の姿を浮かび上がらせる。
音楽とは、その音に浸る事で己自身の声に耳を傾ける事だから。
十数年聴いてきた私に取ってのsleepy.abは、そんな存在だと25周年の夜に再認識した。
冷静さと多幸感がビシビシ降り注ぐ、得がたいライブであった。
変わりなき彼らの世界が、変わりなく続いて行きますように。