Over the Rainbow

その音を探しに

暗く、迷いの森で 11/18 Aoki Yutaka“Lost in Forest”LIVE

去年11/18 のライブ感想を、今さらながら書き綴っている。
まさか、あれから4ヶ月で旅立たれてしまうとは。
昨年中に半分ほど書きかけていたのに、放置などせず拙くとも形にしておくべきだったと、唯々後悔。
今、このタイミングで書くのが正しいか判らないが、忘れたままにしていくより、一つでも言葉として残しておく事がご供養になると思い、敢えて書いてみた。
(尚、青木裕氏御存命の態で書き記されていますので、ご注意を。)

                        


“病室の天井の模様がゆっくり動き出して物語が展開されていく。”

凡そ病室と言うものは、薄っぺらいカーテンに囲まれ味気ないものなのだが、味気ないからこそ、ふっと浮かんだ幻が何時までも消えずふわふわとベッドの周りを漂う。
冒頭の一文は、ソロワンマンを終え入院した、あるギタリストの呟き。
病を押し大きな仕事をした彼・青木裕氏の視る“物語”は、如何様なものであろうか。
それを想像しながら、ワンマンソロライブの感想を書いてみたいと思う。

11/18渋谷WWWで、downyギタリスト青木裕氏のライブが開催された。
downyは知る人ぞ知ると言うか、音楽趣味の人の間でも、認知度に温度差が激しい伝説的バンド。音楽性は括り切れないが、ざっくり言えばポストロックなのかな。
9年間の活動休止の後、復活ライブの渋谷WWW、翌年の恵比寿LIQUIDROOMと続けてソールドアウトさせるほど、待ち望まれ続けたバンドである。
ライブとVJのコラボを導入した先駆的存在で、その独特な歌詞と変拍子を多用した音景は熱狂的ファンが多い。
卓抜した演奏陣のバンドだが、中でも今回の主役ギターの青木裕氏の異様なまで音作りは、凄いの一語。
短期間だが、syrup16gの正式サポートメンバーでもあったので、そちら経由で知った人も多いかもしれない。
余談だが、イラストレーターの腕も異様なまでの描き込みな画法で、凄いなんてもんじゃないw(2年前に個展開催。緻密な上にも緻密に線を重ねて、写実的な造形で異形を絵にする画風は圧巻だった。)

また前振りが長くなったが、その青木裕氏がdownyやその他のバンド活動とは別に、ジャケアートからミキシングまですべて一人で手掛けたソロアルバムが「Lost in Forest」。
着想から十年掛けて出来上がったのも納得な、これでもかと言う程複雑に入り組んだ音をギターのみで作り上げた、変態的なまでにストイックで技巧的な作品であった。
常々、downyのライブを観る度に、青木さんはギターのマッドサイエンティストだと思っていたが、それが正しい感想だったと一人激しく頷きたくなったアルバムでもあるw
www.youtube.com
彼のギターは、ギターであってギターでない。
知らずに聴くと多種多様な楽器の様に感じる音を、全て超絶技巧ギターを駆使して作り上げているのだ。
そんなアルバムを年初めに出し、11月にやっとライブ。そりゃ、観に行かない訳にはねぇw
(やっと本題だ!)

ソールドアウト発表こそなかったものの、渋谷WWWはギッシリの満員。
元映画館だったWWWは段状で観易く、音の良い後方PA前にて開演を待つ。
downyと違い、前方に女性陣が多かったのは、後述するゲスト氏目当てか。
やがて、暗転し開演。暗い舞台の上に、独り黒い影が訪れる。
そこにいたのは、この夜を支配した闇の魔術師だった。

一瞬、「Lost in Forest」の存在を忘れそうになるほど、音源を凌駕するノイジーな音で始まった。
驚きと、息を忘れそうになるほどの魅了と。
暗く深い森の迷路は、今夜彷徨った人全てに消えない刻印を落とした。
あそこまでの嵐で始まるとは、予想していなかった。
音はギターの領域を切り裂き、聴く事そのものも引き裂いた。
それは、恐怖と紙一重の快楽であった。

MCもなく、メンバー紹介もない。
殆どの出演者が黙って座し、ひたすら音を撹拌していた。
闇を、光を、記憶を。刻み込むように作り上げる為に。
青木裕と言う、稀有な音楽家の元で。
その音に酔いしれる事が出来た我々は、途轍もない体験を出来た事を喜ぶべきなのか、禁断を知った事を嘆くべきなのか。
私は判らない。
だが、あの夜に存在できたのは、二度とない貴重な体験であったのは間違いない。

ほぼ満員の渋谷WWWを、ギターを超えた、しかしギターそのものな青木裕氏の音が支配する。
殆どの観客が、息を詰めその音に身を任せていた。
兎に角、圧倒的音である。
ありきたりな表現だが、そう言わざるを得ない演奏で、これ以上の言葉が見つからない。
その音に迷う事で、深淵の本質的な何かに触れられそうに思えた、闇と光の饗宴。
この宴を共に出来た事は、得難い経験になった。

常々、青木裕氏はギターマッドサイエンティストだと思っているが、今夜は闇の科学者の域。
downyとはまた違った、異端な狂気の音であった。
そして、青木氏のみならず、他の方々も一筋縄でない面子揃いで。
カタンスな影を帯びたJake氏ギターも素晴らしかったが、久しぶりなarai tasuku氏の存在感に瞠目した。
1thを出した頃によく聴いていたが、彼もまた深い森の住人で。
登場した一瞬、紛れもなく彼の世界が視えた。
arai tasuku氏の持つ子供の無垢な悪意に満ちた闇と、青木裕氏の計算ずくな大人の闇がスパークしつつ融合した瞬間が、堪らなくゾクゾクした。
うん、正直、予想以上に良い組み合わせw
数年ぶりかでも、arai tasukuの独特な魅力は色褪せていなかった。
あの錚々たる面子と共に、青木氏の世界を壊す事なく自分の色も滲ませたのは、お見事。
と言うか、若手のこの才能を融合させた、青木氏の慧眼は流石と言うべきかな。

ここまで、絶賛しかないライブ感想であるのだが。
実は、非常に困った観客がお一人いらっしゃって、残念の極みであった事を書き残す。
興が乗られたのか、割と序盤から大声で賛美。
いや、その気持ちは判る。ライブ中に歓声上げるのも、称賛するのも悪い事ではない。
だが、タイミングとバランスは考えようよ。
ほぼ全ての観客が拍手すら出来ず息を詰め圧倒されているのに、演奏の最中でも個人的感想を大声で垂れ流すのは、果たして観客の“権利”なのだろうか?
ライブ盤作るとしたら、台無しにしたよね。
ライブは演者だけで作るものではない、我々観客もまた、一体になって作り上げるものだと思う。
だが、それはあくまで“チャンス”に過ぎず、権利ではない。
自分一人を主張する権利は、少なくとも観客サイドは持ち合わせていない。
青木氏が黙るようにと声を上げて、やっと迷惑行為が終わった。
演者に言わせてしまう程、観客として恥ずかしい事はない。
今後、こんな事がないように祈る。

さて、気を取り直して後半について。
この夜のゲストで唯一の歌、夜の森の魔王MORRIE氏の登場に圧倒された。
何度かお見掛けした事はあるものの、実はライブは初体験。
ラルク好きを公言しているので意外に思われるかもしれないが、そちら方面疎いのだw
ギターインスト仕様PAだったのか、最初こそ若干の違和感があったが、直ぐに驚異的歌声に飲み込まれた。
艶、深み、歌唱力。声であれほど支配できるのは、魔王以外の何者でもない。
緻密に狂気を奏でる青木ギターとの融合は、陶然とするばかりであった。
しかし乍、やはりこのライブは青木裕氏の統べる森の世界。当たり前だけれど。
様々な音を構築し、魔王を償還出来るのは、ギターマッドサイエンティストの彼だからこそ。
黒い闇だけでなく、切ない夢や美しい幻影を音の世界にする。
確かに、あの時間、WWWは異世界だった。

その異世界を、音だけでなく夢見させてくれる映像も素晴らしかった。
霧の森、セピアカラーのステンドグラスの様な背景、燃える枯木。
どれも青木氏の音と融和し、印象的。
が、現在視神経炎症の為、チラ見が限界。悔しい。
元映画館のWWWならではの、ハイレベルな映像と音のコラボなので、楽しめた観客は幸せ者である。
ライブ映像化を望まれるが、そうなると返す返すも口惜しいのが、あの観客の奇声……言うても詮無き事ながら。

燃える様な映像と共に、演奏もラストを迎えた。
2時間に満たない青木裕氏WWWライブは、しかし、深い魔の狭間の森へと観客を誘い置き去って終わった。
深い森に足を踏み込んだら最後。
戻る道を照らす月明かりもない。
あれは、現実の音だったのか、森の木立が嵐に揺れる悲鳴だったのか。
もしかしたらそれは、天井に映された夢だったのかもしれない。
青木裕と言う森が観た夢”に、我々はいつまでも迷い続ける。
そう言う夜であった。
願わくば、カーテンが開き、照らされた朝日に次の音が奏でられんことを。


               

青木裕氏は、このソロライブを医師の反対を押し切り決行した後、急性骨髄肉腫の病名を公表し闘病生活に入られた。
しかしながら、完全に閉じる事はなく、MORRIE氏のライブで精力的に演奏したり、友人と交流を絶やさず生き生きと過ごされていたようだ。
それが僅か4ヶ月で終わってしまったとしても。
何が幸せな“生”であるかは、他人にはあれこれ言う事は出来ない。
だが、きっと青木裕氏の48年は、この上もなく濃密に満たされた生だったと思う。思いたい。

私はファン歴も浅く、ほんの一言二言言葉を交わしただけの、所縁薄い者である。
だが、その僅かな交差だけでも、忘れ難い方であった。
その音や絵画と同じく、とてもきめ細やかな方で、後輩アーティストやファンにまで驚くほど誠意ある対応をなさっていた。
私自身、拙い感想を褒めて頂き恐縮した事は、生涯忘れられない。
青木裕氏と深い交流のあった森大地氏(ex‐Aureole/ライブハウス神楽音・ヒソミネオーナー)が、哀しみの中、とても胸打つブログを書かれているので是非とも読んで頂きたい。
青木氏が多くの人に惜しまれている理由が、その傑出した音楽のみでないことが良く伝わってくる。
https://daichimori.com/2018/03/21/aokiyutaka/

その音に、その温かなお人柄に。
唯々、感謝と祈りを捧げて、この長い文章を終わろうと思う。
青木裕さん、同じ時代に存在してくれて、ありがとうございます。