Over the Rainbow

その音を探しに

トラツグミの庭に遊ぶ人 12/7 澁澤龍彦-ドラコニアの地平- 世田谷文学館

トラツグミと言う鳥がいる。
別段珍しくもなく、日本でも見る事が出来る地味な鳥らしい。
私自身は意識して視た事がないが、きっとどこかで目にしているかもしれぬ。
この鳥がなぜ有名かと言えば、そのか細く不安定な鳴き声が、夜の森に鳴り響くと人の心に不安を掻き立てる存在となるから。
そう、日本古来からの妖怪“鵺”の正体は、このトラツグミの鳴き声から連想されたものだと言われている。
鵺とは、猿の頭にトラの手足、蛇の尾を振る物の怪。その鳴き声や存在だけで不吉とされ、人々の恐怖心を煽ってきた。


と、また本題とは違う長話から始める。
今回は、世田谷文学館で長期展覧をしている、澁澤龍彦展ードラコニアの地平ーを観に行った感想。


f:id:nohonohonia:20171209095853j:plain



没後30年である。
澁澤龍彦(この名だけで独自の存在なので、敢えて敬称はつけない)は、昭和に生まれ育った、所謂サブカル好きには畏敬の念を持って語られる存在。
存命中は、或る種の人間の知的好奇心を擽り続けた。
昭和ど真ん中世代の私も、御多分に漏れず、思春期は常に彼の作品と共に在った。
流石に今はもう滅多に手に取らないが、私と言う成分の相当部分が澁澤によって形成された事は間違いない。
そういう人間が、展覧会があると知って無視できようかw

徳富蘆花の街にある世田谷文学館は、小さいが静かに美しい会館。
その2階の特別展示室の限られた空間に、生前彼の愛した鉱石や生原稿がぎっしり陳列されている。
(ここで注意点。澁澤展のチケットで通常展示コーナーも観られるが、素敵デザインなチケットの肝心な部分を毟られてしまう事。知らずに泣いた方が複数いる模様。)
ドラコニアとは、その名の通り、澁澤自身が名付けた“龍彦の領土”。


f:id:nohonohonia:20171209063458j:plain


生原稿はどれも垂涎な作品ばかりであったが、照明の暗さと書き殴った癖のある文体の所為で、全てを読もうと思ったら相当な時間を要するだろう。
現状の目ではそれは不可能なので、視えない龍が遊ぶ空間の全体の雰囲気を味わう。
ギッシリと並べられた原稿の悪筆でさえも、残り香の様で味わい深い。
よくよく見てみると、80年代に入ってからの字は、当時の丸文字文化を反映してか、一寸可愛らしくなっている気がした。
恐らく当時の編集者からと思しき資料メモも展示されていたのだが、これが見事なまでの活字体の様なカッチリ丸文字で、こう言う若者文化もシレっと貪欲に取り込んだのかななんて妄想するのも楽しい。
更に時代は遡るが、昭和女性のおしゃれ文化を牽引したananに寄稿していたりと、今振り返ると澁澤も時代そのものも柔軟であった。
いや、硬い時代の殻を破ろうとする、破天荒さがあったと言うべきか。

また、書簡や寄稿文の多さで、交友関係の広さ深さを知る事が出来る。
澁澤自身や友人が海外旅行に旅立つ際、互いに空港まで見送りしあっているのが、時代を感じさせる。
マメに手紙/葉書を書き送っているので、原稿より一寸綺麗な文字が並んでいるのを観るのも一興。
逆に、余所行きでない家族と交わしたメモもまた、澁澤の表向きでない人間臭さが味わえて良かった。
咽頭癌摘出で声帯を失った後、メモで意思疎通をするしかなくなったが、そこに悲嘆さはない。少なくとも、今回展示された物には。
特に龍子夫人へのメモは、クスリと笑ってしまうものもあって興味深かった。
夫人の言葉使いに文句をつけたり、術後の食事について、夫人が作ったものじゃないとと甘えたり。夫婦の機微を感じさせる。
しかし、「ピン札と言う言葉を使うのはあなただけだ」と言い張っていたメモは、負けず嫌いな子供が自分の考えを曲げない様な稚気が漂い、思わず笑ってしまったw

全体に原稿等文章中心の地味な展示だが、こうやって一つ一つ小さな面白さを拾う宝探し的な楽しみ方が出来たのが良かった。
幾つか手書きのイラストもあるので、その拙い可愛らしさも見て欲しい。
学生時代のノートや原稿の題名が、デザイン文字で書かれていたり。
最後の最後、結局書く事は出来なかった玉蟲物語にまでイラストをつけていて、枯れる事がなかったのだなぁと感心。
海外土産のワイン瓶が、一般的ではない歪んだ形をしてたのも、実に真っ直ぐではない澁澤らしさじゃないですかw

そんな中、ふっと目に留まった小さな卓上カレンダーの書き込みが、一番大きな印象を残した。
最後の著作となった高丘親王航海記の進捗状況の記載に混じった一文。

87年4月6日、小さく『風呂でトラツグミを聞く』と。

この3週間後に最後の作品「高丘親王航海記」は脱稿し、更に4か月後、龍は地上の領土から天空の領土へと旅立つ。
そんな、旅立ちへの前触れを感じさせるような書き込みに感じられた。

ここでやっと冒頭に繋がる。
不穏な鳴き声であるにせよ、鳥は鳥である。
恐れおののき病に倒れた平安の世の時代の人と違い、澁澤がその鳴き声で病んだ訳もあろう筈もない。
が、彼が敢えて言葉にして残した意味を考える。
か細い鳴き声が不吉な魔物に変化するその過程、人が感じる心理は。
ツギハギだらけの体を押し付けられ、ありもしない物の怪に仕立てられた鳥の声の記憶を書き残した意味を。

結局の処、澁澤龍彦とは遊びの人だった。
研ぎすまされ、余人には手の届き難い知性で遊ぶ。
卓越した知識を自由に操ってドラコニアと言う領土を作り、一人遊びがとても上手な人。
その膨大な教養に圧倒され、我々凡人は彼をカリスマに祭り上げたが、澁澤本人はか細い声の鳥と同じく、様々な妄想を押し付けられて“物の怪”にされた様な心持になってはいなかっただろうか。

トラツグミを聞いた 』
“肉体的声を失い、命を削りながら文章を書き綴り続けた人生の最後を前に、本当の自分の声を聴いた”

小さなカレンダーに更に小さく書かれた一文に、そんな想像を巡らしてしまったのもまた、凡人が澁澤を物の怪にしたくなっているだけなのかもしれない。
それでも想う。
澁澤龍彦とは、己の知に遊んだ人だと。
トラツグミの庭に遊ぶ人だと。

今回の展示は、決して派手ではないがドラコニアの端っこを覗けた様で満足。
しかし、澁澤と言えばエロティシズムなのに、それを象徴するベルメールやシモン人形が狭い通路に詰め込まれていたのは残念。
違うよ、どうせなら奥のもっと狭くて仄暗いスペースに隠匿しないとw
ベルメール人形の幼女足が黴に侵食されていて、『あぁ、時間は許してくれないんだなぁ』と思った。
そう考えながら眺めていたら、ファンに同伴されたと思しき女性が澁澤や人形についての説明を聞いて『どうしてそんな思考(嗜好?)になるか、理解出来ない』と呟いていて納得と軽いショックを覚えた。
没後30年。遠くなった。
そう、時間は許してくれないのだ。

もし、彼が存命ならもう卒寿に手が届きそうな頃だ。
今回の展示で、壁に唐草物語の一節が記されていた。
それは、澁澤の今の年齢と同じくらいの老齢な安倍晴明についての記述で始まる。
老いても澄んだソプラノの声で、しっかりとした足取り。
だが、深い諦観を宿した眼を持つ賢者。
それは、今でもトラツグミの庭で遊び続けている、澁澤龍彦の姿ではないか。
澁澤の著作は、サド侯爵や毒薬、ドロドロと陰に沈むテーマが多かったが、決してべたつかず透徹した知の世界であった。

“知性”とは、単に知識の寄せ集めではない。
己の中の鵺の声に耳を傾けられる事だと思う。
実体のないツギハギの虚構である事も、その陰に隠れた真実のもろさも。
鵺は震える鳥に過ぎない事も。
それら全てを受け止められて、理解咀嚼出来る事こそが知性ではないだろうか。
只管、知と遊ぶ世界は、全てを濾過する。
エロスもタナトスも、濾過し珠として呑み込んでいく人だった。

ドラコニアの地平は、遥か遠い。
その庭の片隅にそっと忍び込み、トラツグミの声を聴く。
世田谷文学館、そんな空間であった。



f:id:nohonohonia:20171209063555j:plain